俺が生きる意味。死ぬ意味。
それはなんだ? * * *海は言った。俺の根底にはいつも、絶望があると。
その意味を読み解いた時、何かが変わると。 面白いやつだ。 そんな発想、思いつきもしなかった。これまでずっと、死を渇望しながら生きてきた。
どうしてだ? 毎日飯は食えるし、欲しいものを買う余裕だってある。 自分の時間もあるし、仕事だってそれなりに楽しい。 煩わしい人間関係も持ってないし、特にストレスを感じることもないはずだ。 それなのに。 どうして俺は死を願ってたんだ? * * *青空姉〈そらねえ〉が死んだ。
俺にとって唯一とも言える、この世界の光。 それが失われ、俺は絶望した。 ある意味壊れた。だから死を実行しようとした。 だが海は言った。 本当にそれだけなのかと。確かに俺は今まで、青空姉〈そらねえ〉が生きていたにも関わらず、ずっと死を考えていた。望んでいた。
いや。 海に言わせれば呪いか。 青空姉〈そらねえ〉が死んだことで、その思いが強くなったのは確かだ。 しかし俺はそれ以前から、ずっと前から死にたいと思っていた。 それは何故だ? * * *親父が憎かった。
俺が逆らえない弱い存在と分かった上で、自分のストレスをぶつけてきたあのクズが憎かった。 母親が憎かった。 いつも俺を罵倒し、心を殺してきた悪魔が憎かった。 お前たちは親という立場にも関わらず、俺たちを育てるという最低限の仕事もせず、ただただ見下し、排除することを望んでいた。 そんなお前たちを、俺はただの一度も親だと思ったことはない。 お前たちのおかげで青空姉〈そらねえ〉は右目を失い、心に深い傷を負った。 お前たちがいなければ、俺たカーテンを開け。 煙草をくわえ、火をつける。「……」 大地は混乱していた。 海に促されて始めた自己問答。それが思いもよらぬ方向に進んでいた。 人を信じない。誰とも関わらない。それが自分の哲学だった。 それなのに今。実はそれを渇望していたという結論に辿り着いてしまった。 それは大地にとって、驚愕の事実だった。 本当は俺、人と関わりたかったのか? そう思い、眉間に皺を寄せ。白い息を吐く。 そして思った。 自分にとって、深く関わりたいと思えた他人。 青空〈そら〉。浩正〈ひろまさ〉。 そして海。 青空〈そら〉は死んだ。二度と関わることが出来ない。 その絶望は自分にとって、死を選択するに十分なものだった。 浩正さん。 生まれて初めて、尊敬出来ると思えた他人。 思慮深く、人の痛みに理解を示し、手を差し伸べる聖人のような男。 姉を愛し、共に生きることを誓ってくれた人。 だけど俺は彼に対して、いつも心を閉ざしていた。 もし、この人にまで裏切られてしまったら。二度と立ち直れないと恐れたからだ。 * * * 海。 星川海。 こいつと出会ってまだ、数か月しか経っていない。 それなのにこいつのことを、ずっと昔から知っているように思っていた。 この世界に絶望している同志。 最初はそれだけだった。そう思っていた。 だが青空〈そら〉は言った。『あんた、そこまでお人好しだったっけ。いつものあんたなら、後をつけてまで助けるなんてこと、した?』 その言葉に動揺した。確かに俺らしくない、そう思った。 海がどうなろうと、それはあいつの選択だ。 何より海は俺と同じく、近い内に死のうとしてるやつだ。そんなやつがどうなろうと、自分には関係ないはずだっ
俺が生きる意味。死ぬ意味。 それはなんだ? * * * 海は言った。俺の根底にはいつも、絶望があると。 その意味を読み解いた時、何かが変わると。 面白いやつだ。 そんな発想、思いつきもしなかった。 これまでずっと、死を渇望しながら生きてきた。 どうしてだ? 毎日飯は食えるし、欲しいものを買う余裕だってある。 自分の時間もあるし、仕事だってそれなりに楽しい。 煩わしい人間関係も持ってないし、特にストレスを感じることもないはずだ。 それなのに。 どうして俺は死を願ってたんだ? * * * 青空姉〈そらねえ〉が死んだ。 俺にとって唯一とも言える、この世界の光。 それが失われ、俺は絶望した。 ある意味壊れた。だから死を実行しようとした。 だが海は言った。 本当にそれだけなのかと。 確かに俺は今まで、青空姉〈そらねえ〉が生きていたにも関わらず、ずっと死を考えていた。望んでいた。 いや。 海に言わせれば呪いか。 青空姉〈そらねえ〉が死んだことで、その思いが強くなったのは確かだ。 しかし俺はそれ以前から、ずっと前から死にたいと思っていた。 それは何故だ? * * * 親父が憎かった。 俺が逆らえない弱い存在と分かった上で、自分のストレスをぶつけてきたあのクズが憎かった。 母親が憎かった。 いつも俺を罵倒し、心を殺してきた悪魔が憎かった。 お前たちは親という立場にも関わらず、俺たちを育てるという最低限の仕事もせず、ただただ見下し、排除することを望んでいた。 そんなお前たちを、俺はただの一度も親だと思ったことはない。 お前たちのおかげで青空姉〈そらねえ〉は右目を失い、心に深い傷を負った。 お前たちがいなければ、俺た
次の日。 目覚めてからずっと、大地は泣いていた。 * * * 昨日、異様なテンションで喋り続けていた大地。 浩正〈ひろまさ〉の忠告を思い出し、海はずっと緊張していた。 夜、大地が眠りについた時。乗り切れたと安堵した。 青空〈そら〉さんが守ってくれた、そう信じ涙した。 それなのに。今日は打って変わり、泣き続けている。 この不安定な情緒こそ、今の大地なんだ。 丸裸になった彼の心。 まるで獣に睨まれ、怯えている小動物の様だ。 泣き続ける大地をそっと抱きしめ、海は囁いた。「どうして泣いてるの?」「分からない……自分のことなのに、分からない……」「そうなんだ……でもそれ、普通なんじゃない?」「そう……なのか?」「だってこれ、大地が言ってたことだもん」「俺、なんて言った?」「自分のことが分からない、他人の方が自分を分かってる。そんなの当たり前だって言ってた」「ははっ……そんなこと言ったのか、俺」「大地は今、何を考えてるの?」「それは……」「泣いてる理由が分からない、そう言ったよね。だから質問を変えてるの。今、何を考えてる?」「……怒らないか」「怒らない。約束する」「……死にたいんだ」「そっか……」 笑みを崩さず、海は抱きしめる手に力を込めた。「青空〈そら〉さんがいないから?」「だと……思う……」「寂しい?」「ああ、寂しい……」
それから数日が経ち。 禁断症状がかなり治まっているのを感じた。 短い時間ではあるが、夜も眠れるようになっている。 煙草の本数に気をつければ、頭痛も酷くならなかった。 少しずつ、食事も摂れるようになってきて。 肉体的にかなり楽になってきたと実感した。 しかし。 入れ代わるように、今度は心が蝕まれていった。 言い様のない不安。恐れ。 それらが全身にまとわりついていた。 * * * 体が震える。 ジャケットを出して羽織る。 しかし震えは治まらなかった。 なんなんだ、これは。 大の男が部屋で一人、何を震えてるんだ? 禁断症状の時とは違う、体が自分のものでないような感覚。 なんでこんなに寒いんだ? そう思いスマホを見ると、気温は20度になっていた。「はああっ? 壊れてんのか?」 しかしすぐに思い直した。 違う、壊れてるのは俺の自律神経だ。 そう言えば昨日、天気予報で5月並みの陽気になると言っていた。 そう思うと、急に暑く感じてきた。 慌ててジャケットを脱ぐ。シャツを脱ぐ。 全身に汗がへばりついていた。 大地はタオルで汗を拭い、新しいシャツに袖を通した。「……また……寒くなってきたな……」 再びジャケットを羽織り、苦笑する。 寒いんだか暑いんだか、よく分からん。 色々と……壊れてるんだな、俺。そう思った。 そして。 嫌な感覚を覚えた。 何かに監視されているような感覚。 視線を感じ、クローゼットを見つめた。「……」 何も起こらない。当たり前だ。 この家に住んでるのは俺と海。他に誰もいない。 海は今、買い物に出
「これまでの苦痛は、本来大地くんが経験しなくていいものだった。これは理解出来ますか」 淡々と語る浩正〈ひろまさ〉に、海が静かにうなずく。「あの日、死のうとした時から服用し続けた多量の薬。それがなければ、こんな苦痛はこなかった」「……そうですね」「そして今、大地くんと海さん、二人が力を合わせたことで、その呪いから解放されようとしている」 そこまで聞いて。海の中にひとつの不安がよぎった。 浩正さんが言おうとしてること。それはもしかして……「――体から薬が抜ける。それは即ち、大地くんをあの日の状態に戻すということなんです」 目の前が真っ暗になった。 どうしてそんな簡単なこと、今まで気付かなかったんだろう。「薬によって、大地くんは思考自体を抑えつけられました。何も考えられない状態にされました。でも今、その状態が終わろうとしているんです。それはつまり、大地くんが本来持っている悩み、絶望が丸裸になって蘇るということなんです」「そんな……」「ひょっとしたら、以前より酷いかもしれません。薬によって封じられた思考が蘇る。ある意味、よりクリアになって彼にのしかかってくる訳ですから」「大地は……どうなるんですか」「分かりません。ただ……これまで僕も、色んな人を見てきました。流石に大地くんのような無茶なやり方ではありませんが、長い時間をかけて薬物依存から立ち直った人を多く見てきました。その経験上言えることは……」「浩正さん」 海が真っ直ぐ浩正を見つめる。「何を言われても大丈夫です。本当のこと、話してくれませんか。私はどんなことを言われても、歩みを止めるつもりはありません」 そう言われ、浩正は優しく微笑んだ後、口元を引き締めた。「その後、自ら命を絶
この半月、本当に色々あったな。 睡眠不足な顔で笑い、海が大地の頭を撫でる。 大地はベッドで眠っていた。 正しくは、気を失っていた。 * * * たった二か月の投薬で、ここまでの禁断症状が出るんだ。そう思うと身震いがした。 薬を否定する気はない。必要な人が大勢いることは理解していたし、あの時の大地には必要だったんだと思う。 問題はそこではなく、過度に投薬したということだ。 確かにそのおかげで、大地は渇望していた死すら考えないようになった。しかしその代償として、薬がないと生きていけない体になってしまった。 薬に依存しないと、眠ることも出来ない。 少しでも不調を感じたら、迷わず安定剤を飲むようになった。 おかげで顔は浮腫〈むく〉み、呂律〈ろれつ〉もまわらなくなった。 記憶が混濁し、何度も何度も同じ話を繰り返すようになった。 そんな彼が、薬を断つと決断した。 海は喜んだ。しかし。 それがあまりにも無謀な賭けだったことを、今更ながらに理解した。 大地はこの半月、ほとんど眠っていない。 今のように力尽き、気を失った時にしか目を閉じてない。 食事も摂れなかった。薬を断ってから9日、水以外口に出来なかった。 大地はまず、匂いに異常なほど敏感になった。 自宅から100メートル以上離れた場所にあるラーメン屋。窓を開けると、その匂いに嘔吐した。 薬によって麻痺していた嗅覚が、薬を断ったことで急速に過敏になったから。そう浩正〈ひろまさ〉が言っていた。 おかげで食事を出しても、吐くようになった。 毎日体重を測っていたのだが、9日で11キロも減ってしまった。 そんな大地に涙した。 しかし大地は、「どうだ? 浮腫〈むく〉みも取れてきたし、だいぶ元に戻ってきたんじゃないか?」 そう言って笑った。 海は抱きしめることしか出来なかった。 *